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2010年10月16日土曜日

10月15日、ナイキジャパンへ提出しようとした要求書文面

 10月15日、ナイキジャパンが受け取りを拒否した要求書の文面を公開します。

「要求書」

2010年10月12日、渋谷区の宮下公園では、ナイキジャパン社が発注する工事が着工されました。この工事は区立の宮下公園を「宮下NIKEパーク」という名称に変えるというネーミングライツ協定の名のもとに行われています。しかし、その内実は、公園全体を実質的に作り加え、ナイキ関連のスポーツ施設(有料)で埋め尽くすというものです。

工事に先立ち、9月15日には、宮下公園全体が渋谷区により突然フェンスで封鎖され、そこに暮らす人々を暴力的に追い出す強制排除が行われました。そのわずか10目七経たずして、渋谷区は9月24日に行政代執行を行い、フェンス封鎖された公園内の物品を撤去しました。また、その後、10月1日には、行政代執行の対象外であった野宿生活者の小屋が、法的な手続きを踏むことなく、本人に何の知らせもなく撤去されました。渋谷区はこれについても何の釈明もせず、居直りを続けています。

これら一連の暴力的な排除は、ナイキパーク化ヘの工事のために行われたものです。フェンス封鎖された公園では、渋谷区が植裁の剪定やゴミ処理などをした後、ナイキパーク化エ事を受注した東急建設に引き渡され、10月12日の工事開始を迎えることになりました。

ナイキジャパン社は、渋谷区とネーミングライブ協定を結び、宮下公園を大規模に作り変えようとしている張本人として、また、ナイキパーク化への工事を発注した発注者として、これらの暴力をともなう強制排除について、主要な責任を負っていることは間違いありません。しかし、2008年5月の計画発覚から現在に至るまで、ナイキジャパン社は、計画および工事について沈黙し、住民向けの説明会にすら姿を見せないという姿勢をとっています。

本日、私たち、みんなの宮下公園をナイキ化計画から守る会は、以下の項目について要求します。(2010年10月15日)

●2008年3月に宮下公園の改変を行う主体がナイキジャパン社に決定されてから、2009年6月の桑原区長の区議会冒頭演説まで、15ヶ月にわたりナイキパーク化計画は秘密にされてきました。その理由として、渋谷区は、ナイキジャパン社に守秘義務を求められたからだと言明しています(2009年6月都市環境委員会)。公園の大規模な作り替えを含む公共性の高い工事が、利用者に全く知らされないままであったことへの貴社の責任は重大です。また、その後の工事説明会(2010年3月24日)にも出席しない、等、貴社の姿勢についてきちんとした説明を求めます。

●2010年10月14日、ナイキジャパン社は、「宮下公園の名前を変えない」という内容を含むプレスリリ−スを突然発表しました。現在行われている工事は、渋谷区とナイキジャパン社との間に結ばれた命名権(ネーミングライツ)協定に基づくもので、これ以外のいかなる協定も結ばれていません。公園の名称の変更を伴わない命名権協定は、自家撞着であり、決して成立し得ないものです。この点について、詳細な説明を求めます。

●9/15の強制排除、9/24の行政代執行、10/1の野宿生活者の小屋の撤去という、宮下公園における一連の排除について、どのように考えているのか釈明すること。その上で、強制排除を行った実質的な当事者として、謝罪し、撤去された物品の復元を行うこと。

●一連の排除に対して、私たちが発表した抗議声明には多くの人々から賛同が寄せられています(別紙参照のこと)。また、法的な観点からも、行政代執行には手続きがまったく不十分であり、10/1の排除に至ってはまったく法的な手続きを踏んでいません。これらの排除の上に成り立っている現在の工事を直ちに中止し、また、ナイキパーク化計画についても、白紙撤回すること。

●宮下NIKEパークの詳細な図面はいまだ公開されておらず、樹木の剪定率移植、施設の配置についての情報を区民や公園利用者が理解できるような形では知らされておりません。これらの情報を、直ちに公開すること。

みんなの宮下公園をナイキ化計画から守る会

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