美竹公園周辺には3メートルの白い壁が取り囲み警備員だけが物々しく立ち並びんでいた。補正予算7900万円、このお金があれば、どれだけの貧困者が安寧を得ることができただろう。
美竹公園からは、私たちの荷物を載せて、数台のトラックが慌ただしく出発していった。
それらは、私たち、野宿者の生活の物資である(当座、必要なものを取り出したとしても)
それらは、90年代後半から、幾たびの追い出しを乗り越えながら作られてきた野宿者の記憶の堆積である。
渋谷一丁目地区共同開発事業(区、都、ヒューリック、清水建設)は、その始点において野宿者を追い出し、そして、その完成において、野宿者の痕跡を塗りつぶそうとしている。
しかし、私たちは、失われた美竹公園の姿を忘れることはない。
そして、くしくも戦災復興公園として美竹公園と共通する、神宮通公園において、助け合いの生活を新たに作ろうとしている。
私たちは、長谷部健区長のような二枚舌の偽物に、
渋谷を笑顔にする、といいながら人を不幸にする伊藤毅区議のような厚顔に、
すべての抑圧と差別を生み出す、行政や企業の歯車に、
決して負けるわけにはいかない。
私たちはここにいる。
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