2010年11月5日金曜日

『雑多な宮下公園』

 私たちのアドレス宛に一通のメールが届きました。メールには、この間の出来事についての重要な視点が含まれていると私たちは感じました。ですので、送っていただいた方の了解をえて、blogに転載します。


ここ2年ぐらいでしょうか。渋谷区立宮下公園のリニューアル工事をめぐって、激しく利害が衝突しています。対立の中で、区側のやり方があまりに一方的なことや、工事に伴う問題点が明らかになりました。(反対運動が明らかにしてくれた、というべきでしょうか)その一つ一つに渋谷区やNIKEは真摯に向き合い、答えるべきだと思います。

ただ、それに加えて私が気がかりな点はあと2つあります。1点目は地域の活性化についてであり、2点目は歴史の継承性についてです。

 1つ目の地域が活性化することについては、誰も悪いという人はいないでしょう。ましてや地域の商店を経営する方々にとっては、デフレ不況下の昨今にあって、わらにもすがる思いではないかと思います。しかし、あまりにも経済のハード面と、「なんとなくNIKEは良さそうだ」という曖昧なイメージが先行しすぎているように感じてしまいます。まずは、その漠然としたイメージに左右される物が、ホンモノなのか、じっくり見極めてみるのはどうでしょうか?どの立場に立つ方にとっても有意義なことだと思います。
 高度経済成長、バブル崩壊、リーマンショック等を経て、私たちは学びました。単に経済が活性化すればよいのではない、と。物は豊かになったが、心の豊かさが失われている、と。都市は豊かになったが、地方の過疎化はとどまるところを知らない、と。勝ち組、負け組と振り分ける中で、かたや過労死や自殺に追い込まれ、かたや家を失い、野宿生活に至る人々が後を絶たない、と。
これからは、地域経済がどう、どのように回れば幸せになれるのか、ソフト面に重点を置いて考えるべきです。その議論を避けて通れば、また大事な物を失ってしまうような気がします。私たちはなぜ、同じ過ちを繰り返そうとするのでしょうか?

関連して2つ目は、歴史の継承性です。宮下公園は、私たちの先人が残してくれた財産です。それをアメリカの企業に渡す、ましてや地域を活性化してくれとお願いするのはおかしな話ではないのでしょうか。私たち自ら、NIKEがいないといい物が作れないと言っているようなものです。もしNIKEがつぶれたらどうするのでしょうか?NIKEが悪いから仕方ないと責任逃れをするのでしょうか?
 それでは、次世代に公園を残すも、残さないのもすべてNIKE次第です。今の大人たちはそれで本当にいいのでしょうか?心の底から、自信をもって子どもたちに受け継いでいけるのでしょうか?
 私はこの公園の名称が宮下NIKEパークでなく、宮下公園になったことを心から喜びたいと思います。両者の名前を比較した時、宮下公園という様々なものを含みうる雑多な感じが、宮下NIKEパークでは肉を削ぎ落とされた骨のようになっているのが明らかです。

仮に宮下公園がリニューアルされても、今までに明らかになった問題点は解決されていません。むしろ、問題であったことさえもわからなくなってしまう事になによりも危機感をおぼえます。
 もし宮下公園が話すことができるのなら、聞いてみたいです。あなたはどんな風でありたいですか、と。もしかしたら、「区を行き来する子どもたちの成長を見守り、都会の喧騒から離れてやすらぎを感じる。様々な意味で温かく包むことのできる公園でありたい」と、言うのかもしれません。

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