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2018年5月20日日曜日

更地のままに宮下公園をつくろう!

1960年の宮下公園(*)
1953年、宮下公園は開園しました。
東京全土が破壊された戦争の直後、戦災復興計画の中で緑地計画がたてられました。
東京においては、周辺部を環状にとりまく広大な緑地と長さ150キロに及ぶ市街地を縦横に走る緑地帯からなる遠大な計画でした。
線路両側にも25mずつ緑地帯が計画されました。
残念ながら、緑地計画は予算や時勢の都合でほとんど実現することはありませんでしたが、その数少ない例外が、宮下公園であり、神宮通公園なのです。

宮下公園には、3千本の木が植えられ、ブランコや滑り台が整備されました。

1966年、五輪の都市再開発の中で、新日本石油系列の会社によって地面レベルを駐車場に、2階を公園にする改築が行われました。
交通地獄の到来が喧伝された中の出来事でしたが、当時においても民間企業の利益優先として厳しい批判がありました。

2011年、ナイキジャパンによって、公園の中にスケートボード場など有料スポーツ施設がつくられ、夜間は施錠されました。
渋谷区とナイキの契約について、適切な入札や議会の承認がない地方自治法違反と裁判所は指摘し、野宿者の排除については賠償を求めました。

2018年、三井不動産によって、5階だてショッピングモール屋上に公園をつくり、18階のホテルを併設する工事が始まろうとしています。
三井不動産も渋谷区も、これは公共工事ではない、とまで言い、利用者の声を聞こうとしません。

宮下公園の歴史は、公園の理念と有用性が後退していく歴史にほかなりません。
貧しくとも無料で憩える緑ゆたかな場所として計画された宮下公園は、今、三井不動産の工事によって根底から奪われようとしています。


戦後、闇市によって人々の生活をささえることから出発した渋谷の街は、現在、駅周辺を中心に乱立する巨大な商業ビルに威圧されようとしています。
それでも、街の魅力を路面店に求める人は多くいます。
そして、そのようなつながりの中に都市公園はあるべきであり、多少の遊具と豊かな緑があればそれだけで充分です。
公園を潰してビルを建てる手法は宮下公園にとどまらず全国に波及するかもしれません。


現在、宮下公園は解体され、更地の状態です。

公園本来のあり方を取り戻すために、また今後予想される大震災に備えて、地面の上に宮下公園を作るべきだと考えます。
再開発で息苦しさの増す渋谷の街に必要なのは、三井不動産の商業施設やホテルではありません。

今なら可能です!
宮下公園は更地のまま地面の上に!


*東京懐かしの昭和30年代散歩地図(実業之日本社2005年)より写真引用。撮影者不詳。

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