東京地方裁判所510号法廷 3月13日(金)13時10分~
2011年4月21日提訴より約4年。いよいよ待望の判決です。ぜひ、ご関心のある方傍聴にお越しください。
なお、判決後、簡単な集まりも持ちます。(日比谷公園霞門付近予定)
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2011年4月21日提訴より約4年。いよいよ待望の判決です。ぜひ、ご関心のある方傍聴にお越しください。
なお、判決後、簡単な集まりも持ちます。(日比谷公園霞門付近予定)
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●公園は一企業のもの?
渋谷区は、スポーツメーカー・ナイキジャパンに、区立宮下公園のネーミングライツ(命名権)を売り渡す。ナイキジャパンは自費で宮下公園を改修、有料の施設を設け公園の利用者をふるいにかける。宮下公園はナイキジャパンの広告塔となり、当然にも野宿者、貧困者は公けの園から追い出される。渋谷区は、この計画を水面下で推し進める――。
ナイキ化計画の存在が発覚したのは、2008年5月のこと。もちろん私たちは、これに繰り返し異議を唱えました。が、ナイキジャパン、渋谷区が、私たちの声に耳を傾けることはありませんでした。そして渋谷区は、2010年9月15日早朝、何の予告もなく宮下公園を全面閉鎖し、同年9月24日には、行政代執行によりテントなど私たちの私物を撤去してしまったのです。全面閉鎖の当日、渋谷区の職員、ガードマンに力ずくで園外に追い出されケガを負ったのが、原告の元宮下公園野宿者です。
渋谷区とナイキジャパンが交わした協定書では、宮下公園は「宮下NIKEパーク」とネーミングされていました。しかし、渋谷区もナイキジャパンも世論の批判を恐れたのか、現在では、両者とも宮下公園を平仮名で「みやしたこうえん」と表記しています。
2011年4月20日、私たちは、東京地方裁判所に渋谷区を被告とする国家賠償請求訴訟を提起。それから3年、2014年11月14日に結審しました。口頭弁論、原告への尋問、証人尋問のなかで、渋谷区とナイキジャパンとの癒着は、私たちの想像を超え、より早いころからより深いものとしてあったこと、渋谷区による行政代執行の手続きには、この期に及び弁明のしようもないほど不備があったこと、などが明らかになりました。
2015年3月13日、いよいよ判決が下されます。多くのみなさんの傍聴、注目を訴えます。
●公園はみんなのものだ!
今、渋谷区は、宮下公園をあらためて「整備」する計画を練っています。桑原区長は「今後も宮下公園の整備を進める」「商業施設の導入も合わせて検討していく」旨述べています。私たちの反対を押し切り、すでに有料施設が設置されている宮下公園に、さらにその利用者を限定する「商業施設」が「導入」されるなど許せません。
この年末年始も、渋谷では越年闘争が取り組まれました。越年闘争は、渋谷区を始め行政がその窓を閉ざす時期、共同炊事、集団野営などを通し、野宿者、貧困者がともに生き抜いていく文字通りの闘いです。しかし、あろうことか渋谷区は、越年闘争の拠点である宮下公園はおろか、その周辺にある美竹公園、神宮通公園(いずれも区立公園)まで、それも12月26日から9日もの間、全面閉鎖してしまったのです。越年闘争は宮下公園の新階段下のスペースを拠点に貫徹されたものの、渋谷区は、宮下公園のみならずあらゆる公園から野宿者、貧困者などの「弱者」を追い出し、誰もが利用できるはずの公園から「公共性」を奪い去ろうとしているようです。これが、2019年、ラグビーワールドカップ、2020年、オリンピック・パラリンピックの開催を前に、このかん、渋谷区が加速させている「都市再開発」の実態なのではないでしょうか。
宮下公園ナイキ化反対! 国家賠償請求訴訟は、渋谷区を筆頭とする行政の「まず弱者の排除ありき」の姿勢を問うものでもありました。3月13日、東京地方裁判所へ! 判決への注目を!
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