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2019年5月19日日曜日

西成労働福祉センターの強制封鎖・強制排除に抗議する

2019年4月24日、巨大なタンカーか空母を思わせる、そして電気が切られた後はクジラのお腹の中のように薄暗かった、西成労働福祉センターのシャッターが閉じられた。
その腹の中で午睡をまどろんでいた人間たちは手足をつかまれ外へ放り出された。
誰によって?
大阪府の職員とそれを取り巻く警官とそれを取り巻く釜ヶ崎開発で儲ける奴らとそれを取り巻く無関心と侮蔑を人間性と取り違えた多くの人たちとそれを取り巻く、なんだろう、この社会を浸している「安全・安心」や「ダイバーシティ」などというフンワリとした通りのいいかけ声によって。
私たちは場所を奪われる前に言葉を奪われてきた。
もちろん、私たちは「安心・安全」に暮らしていきたいし、多様でありたい。そして、それは充分ではない難しいことだし、挑戦していこうと思っている。しかし、権力者が上の方から語り、その反響がこだましている空間では、安心・安全・多様性などの常套句は、目も耳も塞ぐ言葉になる。

2019年4月24日、西成労働福祉センターのシャッターが閉じられた。
50年に渡って、毎日のように、労働者が出入りし、求人車が出入りし、身体を休める人が出入りしてきた、大きな口が閉じられた。大阪府は丁寧にもシャッターを溶接したという。
私たちは、4月中頃、越年闘争で集まった毛布を渋谷から車でセンターに運んだ。そして、90名を超える人たちがダンボールで場所を作りセンターに就寝している姿をこの目で見た。そして、私たちはその歴史からすると、ほんの一時だが、その大きな口に入り、ダンボールを敷いて眠った。

2019年4月24日、西成労働福祉センターのシャッターが閉じられた。
センターで起きたことは、全世界で起きていることである。渋谷で野宿者の寝場所を守り、作り、応援してきた私たちは、そのことを知っている。
センターで寝ていた人たち、仕事をしてきた人たち、闘いを支えてきた人たちに熱い連帯をこめて。

2019年5月19日 宮下公園ねる会議

釜ヶ崎センター開放行動の連続抗議行動(5月19日・21日)への連帯声明です。
抗議行動などの詳しい情報は以下
https://twitter.com/OpenKamaCenter

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