「ねる会議」は、 宮下公園で寝ることをきっかけに、2017年初頭から、野宿者としての生活や人権を守り、たたかいとるために、渋谷・新宿などで野宿者を中心に活動しています。
「ねる」場所を守る作戦や考えを「ねる」ための会議、が団体名の由来です。
Twitter https://twitter.com/nerukaigi
Translate
2010年6月29日火曜日
毎週金曜は、昼から街頭情宣してます。
今回は、少人数だったために、「宮下さん」はお休み、、。
炎天下の中で、暑さにまけず(でも日陰にて)マイクアピール。
ラップあり、公園の木陰のありがたさを訴えるものもあり、それぞれのマイクパフォーマンスは磨きがかかってきました。
参加希望の方は、メールをください。
2010年6月24日木曜日
ミケ新聞10号目
2010年6月20日日曜日
伊藤たけし議員が本会議で暴言
6月11日に第二回渋谷区本会議の代表質問に立った伊藤たけし議員から「宮下公園の整備について」の発言があった。
一通り、私たちの運動に対しての非難をした後、「話し合いで解決できない場合は、反対団体の強制撤去もやむなしと考えていますが、どうお考えですか?」と区長に質問。
伊藤議員は、ハセベケン議員と共に、ナイキ化計画の立役者。
宮下公園近くの美竹公園に対するナイキ社からのバスケットコートの「寄贈」でも、拙速すぎる設置をした人物である。
伊藤議員らと区長が、秘密裏に宮下公園のナイキ化計画を進めたことが、今日の広範な反対運動を呼び起こした原因の一つであるにも関わらず、なんら責任の自覚もなく、「強制撤去もやむなし」とは、議員としての見識の低さを改めて公にみせつけた。
また、私たちは、区と話し合いを行っているという事実もなければ、そのような働きかけを区から受けたこともない。あたかも話し合いを行っているかのような偽りの情報を流布するのは、議会を欺くものだろう。
一通り、私たちの運動に対しての非難をした後、「話し合いで解決できない場合は、反対団体の強制撤去もやむなしと考えていますが、どうお考えですか?」と区長に質問。
伊藤議員は、ハセベケン議員と共に、ナイキ化計画の立役者。
宮下公園近くの美竹公園に対するナイキ社からのバスケットコートの「寄贈」でも、拙速すぎる設置をした人物である。
伊藤議員らと区長が、秘密裏に宮下公園のナイキ化計画を進めたことが、今日の広範な反対運動を呼び起こした原因の一つであるにも関わらず、なんら責任の自覚もなく、「強制撤去もやむなし」とは、議員としての見識の低さを改めて公にみせつけた。
また、私たちは、区と話し合いを行っているという事実もなければ、そのような働きかけを区から受けたこともない。あたかも話し合いを行っているかのような偽りの情報を流布するのは、議会を欺くものだろう。
2010年6月10日木曜日
2010年6月4日金曜日
「沖縄・高江『心〜ククル〜』を観てゆんたくしよう!」、本日雨天の場合は順延です。
本日の天気ですが、「晴れのち雨」、18時から24時の降水確率は50%です。
今日の16時ころに、本日の「沖縄・高江『心〜ククル〜』を観てゆんたくしよう!」を決行か順延かの判断をすることになりました。
行こうと思ってくださっていた方は、MLやブログをチェックしていただけると幸いです。
「沖縄・高江『心〜ククル〜』を観てゆんたくしよう!」
ゆんたく高江 http://helipad-verybad.org/
宮下公園AIR http://airmiyashitapark.info/wordpress/
連絡先 07066679604(小川)
2010年6月3日木曜日
6月11日(金)『HER STORIES』根来祐監督作品上映
『HER STORIES』(2010年)
監督:根来祐
日時:6月11日(金)19:00~21:00 (アフタートークあり)
場所:宮下公園原宿側
参加費:カンパ制
監督:根来祐
日時:6月11日(金)19:00~21:00 (アフタートークあり)
場所:宮下公園原宿側
参加費:カンパ制
——————————————
あなたの生き方を、私は選ばない。
あなたがいるから、私はここにいる。
あなたの生き方を、私は選ばない。
あなたがいるから、私はここにいる。
私・母・祖母…女の生き方をめぐる私的ドキュメンタリー
『HER STORIES』を観て、まったり話します
——————————————
『HER STORIES』を観て、まったり話します
——————————————
私、36歳。20代の頃は「仕事が自分のすべて」と思い込み、摂食障害にもなった。現在はフリーの映像作家として、東京で暮らしている。
母、63歳。結婚、出産を期に幼稚園の仕事をやめ、専業主婦をしてきた。反対を押し切って上京した娘の人生を思うと、今も不安。
祖母、89歳。実の父が自分と母を捨てた後、日本有数の紡績会社で女工として働いた。茶道の先生を40年以上続けている。
異なる時代を生きてきた3世代の女たち。異なっていて、つながっている女たちの生き方を、監督の根来祐さんを交えて、まったりお話したいと思います。
母、63歳。結婚、出産を期に幼稚園の仕事をやめ、専業主婦をしてきた。反対を押し切って上京した娘の人生を思うと、今も不安。
祖母、89歳。実の父が自分と母を捨てた後、日本有数の紡績会社で女工として働いた。茶道の先生を40年以上続けている。
異なる時代を生きてきた3世代の女たち。異なっていて、つながっている女たちの生き方を、監督の根来祐さんを交えて、まったりお話したいと思います。
________________________________
※ 宮下公園は駐車場の2F&陸橋もあるおもろい公園。真ん中にある陸橋の下あたり、線路沿いに(タワーレコードの横の道)、車いすのひとや大荷 物のひとも使えるゆるやかスロープあり。会場は原宿側になります。
※ 宮下公園は駐車場の2F&陸橋もあるおもろい公園。真ん中にある陸橋の下あたり、線路沿いに(タワーレコードの横の道)、車いすのひとや大荷 物のひとも使えるゆるやかスロープあり。会場は原宿側になります。
『HER STORIES』(2010年) 上映会
6月4日(金)「沖縄・高江『心〜ククル〜』を観てゆんたくしよう!」
(告知が遅くなってすみません)
「沖縄・高江『心〜ククル〜』を観てゆんたくしよう!」
●映画上映後、ゆんたく高江メンバートーク・ミニライブあり
にちじ:6月4日(金)19時より ※雨天の場合は順延になります。
ばしょ:宮下公園原宿側(渋谷駅から、原宿方面に徒歩2分の線路ぎわ)参加費:無料(カンパ受け付けます)
上映:『心〜ククル〜UAやんばるLIVE』(90分)キム・スンヨン監督
同時上映:『やんばるからのメッセージ・高江の記録』(10分) 比嘉真人
沖縄の北部、東村に高江(たかえ)という小さな集落があります。2007年、住宅に隣接した場所への新たな米軍ヘリパッドの建設の一方的な決定・工事着工に対して、住民の座り込み反対運動が始まりました。今現在も座り込みは続いています。
『心〜ククル〜』は座り込み運動の様子や高江住民へのインタビュー、そして2007年に高江の「カフェやまがめ」で行われたUAによるシークレットライブの映像をまとめたドキュメンタリーです。『心〜ククル〜』上映後には高江住民の比嘉真人さんが撮った高江の近況DVD(10分)を上映します。
現在同じく座り込み(スクウォット)という形で公園という場の権利を守るための活動をしている宮下公園で、上映後にゆんたく(おしゃべり)しながら沖縄の小さな村のことを考えてみませんか?
※ゴミはお持ち帰りください。
※授乳・オムツ替えのテント、あります。
※宮下公園は駐車場の2F&陸橋もある公園です。真ん中にある陸橋の下あたり、線路沿いに,車いすのひとや大荷物のひとが原宿側に上がれるゆるやかスロープあり。
共催:ゆんたく高江、宮下公園A.I.R(アーティスト・イン・レジデンス)
ゆんたく高江 http://helipad-verybad.org/
宮下公園AIR http://airmiyashitapark.info/wordpress/ 連絡先07066679604(小川)
2010年6月1日火曜日
Rue89(リュー・キャトルヴァンヌフ)に宮下公園の事が掲載
Rue89(リュー・キャトルヴァンヌフ、というフランス語圏のインターネット新聞に、宮下NIKEパークの事が掲載されました。
原文アドレスはこちら。
http://www.rue89.com/2010/05/21/nike-se-paie-un-parc-public-au-coeur-de-tokyo-152064
以下有志による訳です。
-----
(証言)『ナイキ、東京の真ん中で“公共”パークをしょいこむ』ティエリー・リボー/フランス国立科学研究センター・経済学者(2010年5月25日16時53分)宮下公園は巨大都市東京の中心部に位置しており、幅50メートル、長さ500メートルの帯状で、大きな木々が植えられている緑豊かな公園である。2000年代の初頭には、そこに100人ほどの野宿者が暮らしていた。それが、2009年9月に排除措置が取られる直前には、20人が残っているのみだった。時間が経つにつれてこの公園の自分の“シェルター”に定住するようになったそのうちの数名は、5年以上もここで生活していた。渋谷区とナイキ社との間にもたれた、この宮下公園の“売買”と“リハビリテイション”に関する商取引は、内密裏に行われた。影響力をもつ渋谷区議の一人で、同国の広告代理店最大手:電通の元社員である人物は、同区の緑化イメージを高めることにつながるとして、この件に率直に関与している。渋谷区の緑化行政に合致すると言う彼は、緑地の公園を若者とスポーツのために作り変えるこの計画を熱烈に擁護するのだ。*** ナイキの旗の下の、自発的な新自由主義的戦略 ***そこまで高尚な主義主張の名目をもって彼が守っているものは・・・宮下公園の私企業化である。この民営化は大規模な都市整備計画の一環で、特にこの公園から10代の若者のモードの聖地:原宿地区に向かって新たに幹線道路を整備することを目指している。若者の消費文化を象徴する街ながら、2000年代の半ば以降は少々そのオーラを失った渋谷のただ中にある宮下公園だが、ここで重要なのは、この公園がかなりの可能性を秘めた広告ツールになるということだ。カフェ、スケートボードのトラック、クライミング用の壁など、有料で遊べる設備を作る計画を進めながら、渋谷区側は同区のイメージを刷新していくことを望んでいる。実のところ、宮下公園から住人を追い立てる真の動機は、“ナイキ社そのもの”ではない。同社は、区の行政当局が自らの意志で行なっている、より包括的なネオリベラル行政戦略の“旗”なのだ。ここには不動産証券化の考え方も手伝っており、不動産、鉄道、デパート業務を行なう東急グループは、その立場から、区の財産であるその不動産を手放すように強いプレッシャーをかけている。*** デモ集会を行なわせないための策? ***さまざまな表情を持つ宮下公園は、東京で行なわれる数多くのデモの主要な集合場所の一つという“不都合な名声”もまた、有している。2009年8月、“みんなの宮下公園をナイキ化計画から守る会”が組織したデモは、公園の公共性を守ろうと闘う人たちを結集させた。彼らは、《Nike, just do nothing! ...or go home...》あるいは《宮下公園のナイキ化反対!》といったスローガンを掲げた。退去勧告を頑として聞き入れない20ほどのテントは、翌9月に破壊された――野宿者に対し、4車線の大通り沿いの狭い空間に設置した真新しいけれど事故に遭う危険性があるテントの中に、“気前よく住居を与えた”当局によって。*** アーティストたちが公園の“ナイキ化”計画を阻止 ***そのリアクションとして、“守る会”は“アーティスト・イン・レジデンス(AIR)”のキャンプ・スペースを設けた。野宿者が締め出されたあとの公園に落ちていたものを材料として、彫刻やインスタレイションを作るのである。公園にやってきた(フランスのCRSに相当する)特別治安部隊も、その内部を監視するにとどまっている。いかなる権力の介入も、ナイキのブランド・イメージを毀損しかねない。“みんなの宮下公園をナイキ化計画から守る会”が抗議しているのは、主に以下のような点においてである:・すべての人に対して開かれた公共の空間を、限定された商業スペイスに変えようとする考え方。・政治的および芸術的な表現の自由に適した空間が消滅してしまうこと。・民主主義のルールに反し、この件が渋谷区議会に諮られず、都市計画審議会にも相談されていないこと。・最後に、“守る会”側が、ナイキ社はその工場労働者の扱い方において、企業としての品格の模範からほど遠いと考えていること――同社がアジアの国々において児童労働力に頼っているという点において。また、数多くの製品工場において従業員に強いている労働条件においても。*** 議会から力づくで追い出された計画の反対者たち ***肩から斜め掛けにした大きなバッグをいくつか持ちながら、計画に反対する活動家たちの代表団は、区役所のロビーにそれとなく入り込んだ。忙しそうにしている公務員のいぶかしげな視線を浴びながら(野宿者がこの場所に通う習慣はほとんどない)、そして約10台の監視カメラに睨まれながら。そして集団は、木製の内装が施され、緑のじゅうたんが敷かれた議場へと向かう。この、自民党が過半数を占める“できあいの政治”の巣窟では、何も論議されずにすべてが可決されていく。出席議員は61名、うち女性は11名。そして書記が4名。代表団は、“天井桟敷”席の、75歳を超えた区民が10名ほど座っている場所の脇に陣取り、ビロードの椅子に腰掛ける。野宿者の一人は、そこから5分もすると眠り込んでしまった。*** 議員は――議論なしに――平然と計画を可決 ***案件は次々に処理され、突然、宮下公園の案件の番になる。そして公園民営化の決定が大声で告げられる。突然、集団のメンバーたちは立ち上がり、長さ3メートルのたれ幕を広げ、メガフォンを取り出す。議場の進行は中断。3人の保安係官が扇動者たちの首根っこを捕え、力ずくで彼らを場外に追い出す。傍聴席に残されたのは、会議の始めから来ていた10名ほどの区民・・・そして、騒ぎによって眠りから覚め、取り乱した例の野宿者だけだ。議長は票決を呼びかけ、共産党区議5人のみ反対票を投じる。工事はほどなく始まることになるだろう・・・。その夜、200人が再び抗議デモを行い、400人のポリスと向かい合うことになる。デモを構成している参加者の中には、反貧困ネットワークのメンバーたち、野宿者たち、議員たち、アーティストたち、セクシャル・マイノリティーの代表者たち、アタック・ジャパンの代表者たち、障がい者たちがいる。スローガンは:《ナイキは私たちの公園から出て行け》《ナイキの公園に“生命”はあるのか?》。この、他者が公園で利益を得ることを妨げようとする人たちの思いにも関わらず、宮下公園の名前は“ナイキ・パーク”に変更され、ナイキ社はこの新名称に関連する権利を獲得した。その代金として1500万円(120万ユーロ)が、今後5年間に渡って渋谷区に支払われる。
《Aujourd'hui le Japon》に18日付けで 宮下公園の事が掲載
以下のリンクに、5月18日付けで宮下公園の事が掲載されています。
Aujourd'hui le Japon
以下有志訳。
-----
タイトル〉『計画反対の市民たちと衝突する東京ナイキ公園化プロジェクト』
(上部見出し)アメリカの製造メイカー:ナイキが、東京にその名を冠したスポーツ・パークを建設する計画に着手した。サッカーの変形競技であるフットサルやスケートボードなどの施設を擁するものだが、しかし計画を反対する市民によって工事の着工が阻止されている。
(写真キャプション:活動家たちは、宮下公園の“代理人”としてナイキ・パーク建設反対の声明を掲げている)
(本文)
ナイキ・ジャパンに対しては、渋谷区より2009年9月に工事着工への“Go”サインが出ており、かつ同社はネーミング・ライツ料として今後10年間に渡り年間18万ドルを支払う用意が整っているのにも関わらず、現在、この計画は満場一致で遂行されるのにはほど遠い状況にある。
渋谷の繁華街区域にある宮下公園に大規模な改装工事を施す予定だった《ナイキ・パーク》プランを、計画に反対する活動家たちが問題視した。
少し前から活動家たちは公園内にキャンプし、ナイキ側の人間や工事関係者がアクセスできないようにしている。彼らは、公共の空間がいち私企業の利益のために専有されてしまうことに異議を唱えているのだ。
同公園で暮らしていた野宿者たちをとうの昔に排除して工事のための場所を整備しなくてはならなかった、そして彼らの再居住地を検討しなくてはならない立場にある渋谷区にとっては頭の痛い問題だ。
(訳註*この 〈場所を整備し〉の箇所の fait place nette は、邪魔者を追い払う、不要物を捨てる、の“乱暴な”ニュアンスを含んでいる)
現在の工事阻止行動によって、工事再開は9月に繰り延べになる。(訳註*記事発表後の時点でこの事実は確認されていない)。公園が工事のために閉鎖されたのは2009年9月のことである。
抗議行動はこの国だけにとどまらなかった。フランスやオーストラリアやタイのアンチ=グローバリゼイション活動家たちが、各国の日本大使館前やナイキのブティック前に結集した。
(最後に参照サイトとして〈NIKEPOLITICS / Keep it Miyashita Park〉のリンク)
登録:
投稿 (Atom)