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2010年6月1日火曜日

Rue89(リュー・キャトルヴァンヌフ)に宮下公園の事が掲載









Rue89(リュー・キャトルヴァンヌフ、というフランス語圏のインターネット新聞に、宮下NIKEパークの事が掲載されました。
原文アドレスはこちら。
http://www.rue89.com/2010/05/21/nike-se-paie-un-parc-public-au-coeur-de-tokyo-152064
以下有志による訳です。
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(証言)『ナイキ、東京の真ん中で公共パークをしょいこむ』
ティエリー・リボー/フランス国立科学研究センター・経済学者(20105251653分)
宮下公園は巨大都市東京の中心部に位置しており、幅50メートル、長さ500メートルの帯状で、大きな木々が植えられている緑豊かな公園である。2000年代の初頭には、そこに100人ほどの野宿者が暮らしていた。それが、2009年9月に排除措置が取られる直前には、20人が残っているのみだった。時間が経つにつれてこの公園の自分のシェルターに定住するようになったそのうちの数名は、5年以上もここで生活していた。
渋谷区とナイキ社との間にもたれた、この宮下公園の売買リハビリテイションに関する商取引は、内密裏に行われた。
影響力をもつ渋谷区議の一人で、同国の広告代理店最大手:電通の元社員である人物は、同区の緑化イメージを高めることにつながるとして、この件に率直に関与している。
渋谷区の緑化行政に合致すると言う彼は、緑地の公園を若者とスポーツのために作り変えるこの計画を熱烈に擁護するのだ。
*** ナイキの旗の下の、自発的な新自由主義的戦略 ***
そこまで高尚な主義主張の名目をもって彼が守っているものは・・・宮下公園の私企業化である。この民営化は大規模な都市整備計画の一環で、特にこの公園から10代の若者のモードの聖地:原宿地区に向かって新たに幹線道路を整備することを目指している。
若者の消費文化を象徴する街ながら、2000年代の半ば以降は少々そのオーラを失った渋谷のただ中にある宮下公園だが、ここで重要なのは、この公園がかなりの可能性を秘めた広告ツールになるということだ。
カフェ、スケートボードのトラック、クライミング用の壁など、有料で遊べる設備を作る計画を進めながら、渋谷区側は同区のイメージを刷新していくことを望んでいる。
実のところ、宮下公園から住人を追い立てる真の動機は、ナイキ社そのものではない。同社は、区の行政当局が自らの意志で行なっている、より包括的なネオリベラル行政戦略のなのだ。
ここには不動産証券化の考え方も手伝っており、不動産、鉄道、デパート業務を行なう東急グループは、その立場から、区の財産であるその不動産を手放すように強いプレッシャーをかけている。
*** デモ集会を行なわせないための策? ***
さまざまな表情を持つ宮下公園は、東京で行なわれる数多くのデモの主要な集合場所の一つという不都合な名声もまた、有している。
2009年8月、みんなの宮下公園をナイキ化計画から守る会が組織したデモは、公園の公共性を守ろうと闘う人たちを結集させた。彼らは、《Nike, just do nothing! ...or go home...》あるいは《宮下公園のナイキ化反対!》といったスローガンを掲げた。
退去勧告を頑として聞き入れない20ほどのテントは、翌9月に破壊された――野宿者に対し、4車線の大通り沿いの狭い空間に設置した真新しいけれど事故に遭う危険性があるテントの中に、気前よく住居を与えた当局によって。
*** アーティストたちが公園のナイキ化計画を阻止 ***
そのリアクションとして、守る会アーティスト・イン・レジデンス(AIRのキャンプ・スペースを設けた。野宿者が締め出されたあとの公園に落ちていたものを材料として、彫刻やインスタレイションを作るのである。公園にやってきた(フランスのCRSに相当する)特別治安部隊も、その内部を監視するにとどまっている。いかなる権力の介入も、ナイキのブランド・イメージを毀損しかねない。
みんなの宮下公園をナイキ化計画から守る会が抗議しているのは、主に以下のような点においてである:
・すべての人に対して開かれた公共の空間を、限定された商業スペイスに変えようとする考え方。
・政治的および芸術的な表現の自由に適した空間が消滅してしまうこと。
・民主主義のルールに反し、この件が渋谷区議会に諮られず、都市計画審議会にも相談されていないこと。
・最後に、守る会側が、ナイキ社はその工場労働者の扱い方において、企業としての品格の模範からほど遠いと考えていること――同社がアジアの国々において児童労働力に頼っているという点において。また、数多くの製品工場において従業員に強いている労働条件においても。
*** 議会から力づくで追い出された計画の反対者たち ***
肩から斜め掛けにした大きなバッグをいくつか持ちながら、計画に反対する活動家たちの代表団は、区役所のロビーにそれとなく入り込んだ。忙しそうにしている公務員のいぶかしげな視線を浴びながら(野宿者がこの場所に通う習慣はほとんどない)、そして約10台の監視カメラに睨まれながら。
そして集団は、木製の内装が施され、緑のじゅうたんが敷かれた議場へと向かう。
この、自民党が過半数を占めるできあいの政治の巣窟では、何も論議されずにすべてが可決されていく。出席議員は61名、うち女性は11名。そして書記が4名。
代表団は、天井桟敷席の、75歳を超えた区民が10名ほど座っている場所の脇に陣取り、ビロードの椅子に腰掛ける。野宿者の一人は、そこから5分もすると眠り込んでしまった。
*** 議員は――議論なしに――平然と計画を可決 ***
案件は次々に処理され、突然、宮下公園の案件の番になる。そして公園民営化の決定が大声で告げられる。突然、集団のメンバーたちは立ち上がり、長さ3メートルのたれ幕を広げ、メガフォンを取り出す。
議場の進行は中断。3人の保安係官が扇動者たちの首根っこを捕え、力ずくで彼らを場外に追い出す。傍聴席に残されたのは、会議の始めから来ていた10名ほどの区民・・・そして、騒ぎによって眠りから覚め、取り乱した例の野宿者だけだ。
議長は票決を呼びかけ、共産党区議5人のみ反対票を投じる。工事はほどなく始まることになるだろう・・・。
その夜、200人が再び抗議デモを行い、400人のポリスと向かい合うことになる。デモを構成している参加者の中には、反貧困ネットワークのメンバーたち、野宿者たち、議員たち、アーティストたち、セクシャル・マイノリティーの代表者たち、アタック・ジャパンの代表者たち、障がい者たちがいる。スローガンは:《ナイキは私たちの公園から出て行け》《ナイキの公園に生命はあるのか?》。
この、他者が公園で利益を得ることを妨げようとする人たちの思いにも関わらず、宮下公園の名前はナイキ・パークに変更され、ナイキ社はこの新名称に関連する権利を獲得した。その代金として1500万円(120万ユーロ)が、今後5年間に渡って渋谷区に支払われる。

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