元記事http://goo.gl/T31sSZ
以下翻訳です。(誤認がある部分については訳注を入れました)
<<東京、ナイキ公園の野宿者の終わりなき闘い>>
渋谷区の野宿者が今日ナイキ公園となったかつての宮下公園をめぐって闘いを繰り広げている。スカッシュ場(注1)やスケート場建設のためにブルーシートのテントは撤去され、野宿者たちは日出ずる国で、弾圧され続けている。
宮下公園から追い出された野宿者は駐輪場と壁に挟まれた1メートルほどの狭い空間だけが許容されている。都市においてブルーシートや段ボールの家での生活は、きわめて疎外されたものだ。公園はグローバル企業ナイキのみに許された空間になってしまった。渋谷区がナイキに公園の整備を任せたのは2008年。ナイキが渋谷区に支払う年間1700万円で宮下公園はナイキ公園になった。これは、2000年にナオミ・クラインが『ブランドなんていらない』で描いた、まさにロゴマークの圧政の一例にすぎない。多国籍企業は製造よりもイメージの創造に主眼を置いていて、私たちの日常生活は、街も、道も、空間も、多国籍企業の製品のタグが蔓延している。マドリードでは、プエルタデルソルの地下鉄の駅が、昨年ヴォーダフォンに売られたことで、「憤った人々」が抗議のために集まる場所となった。「ネーミング・ライツ」はアメリカ合衆国では数十年前から売り物になっているが、フランスには2011年にルマンのMMArenaの建物にはじめて使われたのがはじめてである。
<日本社会によって罪悪感を植え付けられ、貧困層はみずから潜在化していく>
とはいっても、東京では、ナイキ公園は、公共空間の商品化や野宿者の排除に抵抗する重要な場所となっている。宮下公園のナイキ化に反対する運動は、世界規模で支持され、フランスではシャンゼリゼ通りのナイキ・ショップが抗議のために占拠され、渋谷区は数々の譲歩を強いられた。公園の名前は「ナイキ宮下公園」(注2)となった。新しく設置されたスポーツ施設は有料だが、公園はまだ無料でアクセス可能な部分もある。野宿者をとりまく状況はよくなってはいない。今日では公園は夜は施錠され、野宿者たちはもはや公園のなかで休息することはできない。単発の行動で、公園がすべての人のものであることを示すために段ボールを広げて寝るアクションが行われることはある。この夏、渋谷の野宿者の運動団体である「のじれん」によって、野宿者の生存と生活を守る運動に対して、No Voxネットワークをつうじて国際的な連帯が新たに呼びかけられた。活動家は、公園に防犯カメラが設置されることに抗議している。公園の管理者は、野宿者を防犯カメラで撮影することで、公園を野宿者が利用しないようにしむけようとしている。貧困な人を犯罪者予備軍扱いすることは、日本においては新しいことではない。カメラで撮影されることに抗議して、公務執行妨害で逮捕された活動家もいると、住宅への権利運動の活動家でNo Voxの世話人であるアニー・プールは指摘する。日本では路上生活者は非常に悪いイメージを付与されることにも苦しんでいる。フランスでは貧困は構造的な問題として理解を得られやすいが、日本では個人の責任とみなされる傾向が強いと茨城大学の社会学者、イナバナナコは指摘する。日本の貧困問題の専門家で東京の日仏会館研究員であるダヴィド・アントワーヌ・マリナスは、失業は、その個人が規則や規範を守らなかったからだと、日本ではみなされるという。これは子どものころから植え付けられる価値観である。
野宿者たちも、これを「自己責任」として引き受けさせられている。そのため彼らは目立たない場所で生活する。そのため緊急宿泊施設の劣悪な環境も受容する。日本版「ああ無情」の登場人物は、悲惨な収入に対して文句を言うこともない。彼らの多くは空き缶のリサイクルなどで仕事をしているのである。野宿者の多くは建設で働いており、1990年代のバブルの崩壊のあとに路上生活を送るようになった。ロイター通信によれば、野宿者のなかには、最低賃金以下の時給4,41ユーロで福島の原発の清掃に雇われる者もいるという。
宮下公園では、野宿者の状況は改善していない。渋谷区に9月に申し入れに行ったさいにも、区はきちんとした話し合いを行っていない。その上、ここ数年は支援運動も弱体化してきた。1990年代終わりには、貧困と格差に反対する運動は、日本のあらゆる左翼運動がとりくむ闘いだった、とダヴィド・アントワーヌ・マリナスは説明する。反貧困ネットワークは2008年に創設され、多くの運動が参加した。福島の災害がこの社会運動のダイナミズムを弱体化させた。イナバナナコは、今日では、貧困と闘う運動、野宿者の運動、つまり社会的権利をめぐる運動よりも、反原発運動に動員される運動のほうが多いと言う。 リュマニテ(2014年10月7日発行)
注1-スカッシュ場はないので、フットサル場の間違いだと思われる
注2-現在の名称は「みやしたこうえん」です。ナイキジャパン社は2008年の渋谷区に対する企画提案書で「「渋谷区」と「NIKE」のJOINT PROJECTであることを象徴するような名称を希望します。」として、宮下やNIKEや渋谷が入る名称を提案しました。一方で、2010年10月14日のプレスリリースで「「宮下公園」の名称はこれまで通り「渋谷区立宮下公園」となります」としました。しかし、2011年4月30日のリニューアルオープン時に「みやしたこうえん」という名称になりました。
以下翻訳です。(誤認がある部分については訳注を入れました)
<<東京、ナイキ公園の野宿者の終わりなき闘い>>
渋谷区の野宿者が今日ナイキ公園となったかつての宮下公園をめぐって闘いを繰り広げている。スカッシュ場(注1)やスケート場建設のためにブルーシートのテントは撤去され、野宿者たちは日出ずる国で、弾圧され続けている。
宮下公園から追い出された野宿者は駐輪場と壁に挟まれた1メートルほどの狭い空間だけが許容されている。都市においてブルーシートや段ボールの家での生活は、きわめて疎外されたものだ。公園はグローバル企業ナイキのみに許された空間になってしまった。渋谷区がナイキに公園の整備を任せたのは2008年。ナイキが渋谷区に支払う年間1700万円で宮下公園はナイキ公園になった。これは、2000年にナオミ・クラインが『ブランドなんていらない』で描いた、まさにロゴマークの圧政の一例にすぎない。多国籍企業は製造よりもイメージの創造に主眼を置いていて、私たちの日常生活は、街も、道も、空間も、多国籍企業の製品のタグが蔓延している。マドリードでは、プエルタデルソルの地下鉄の駅が、昨年ヴォーダフォンに売られたことで、「憤った人々」が抗議のために集まる場所となった。「ネーミング・ライツ」はアメリカ合衆国では数十年前から売り物になっているが、フランスには2011年にルマンのMMArenaの建物にはじめて使われたのがはじめてである。
<日本社会によって罪悪感を植え付けられ、貧困層はみずから潜在化していく>
とはいっても、東京では、ナイキ公園は、公共空間の商品化や野宿者の排除に抵抗する重要な場所となっている。宮下公園のナイキ化に反対する運動は、世界規模で支持され、フランスではシャンゼリゼ通りのナイキ・ショップが抗議のために占拠され、渋谷区は数々の譲歩を強いられた。公園の名前は「ナイキ宮下公園」(注2)となった。新しく設置されたスポーツ施設は有料だが、公園はまだ無料でアクセス可能な部分もある。野宿者をとりまく状況はよくなってはいない。今日では公園は夜は施錠され、野宿者たちはもはや公園のなかで休息することはできない。単発の行動で、公園がすべての人のものであることを示すために段ボールを広げて寝るアクションが行われることはある。この夏、渋谷の野宿者の運動団体である「のじれん」によって、野宿者の生存と生活を守る運動に対して、No Voxネットワークをつうじて国際的な連帯が新たに呼びかけられた。活動家は、公園に防犯カメラが設置されることに抗議している。公園の管理者は、野宿者を防犯カメラで撮影することで、公園を野宿者が利用しないようにしむけようとしている。貧困な人を犯罪者予備軍扱いすることは、日本においては新しいことではない。カメラで撮影されることに抗議して、公務執行妨害で逮捕された活動家もいると、住宅への権利運動の活動家でNo Voxの世話人であるアニー・プールは指摘する。日本では路上生活者は非常に悪いイメージを付与されることにも苦しんでいる。フランスでは貧困は構造的な問題として理解を得られやすいが、日本では個人の責任とみなされる傾向が強いと茨城大学の社会学者、イナバナナコは指摘する。日本の貧困問題の専門家で東京の日仏会館研究員であるダヴィド・アントワーヌ・マリナスは、失業は、その個人が規則や規範を守らなかったからだと、日本ではみなされるという。これは子どものころから植え付けられる価値観である。
野宿者たちも、これを「自己責任」として引き受けさせられている。そのため彼らは目立たない場所で生活する。そのため緊急宿泊施設の劣悪な環境も受容する。日本版「ああ無情」の登場人物は、悲惨な収入に対して文句を言うこともない。彼らの多くは空き缶のリサイクルなどで仕事をしているのである。野宿者の多くは建設で働いており、1990年代のバブルの崩壊のあとに路上生活を送るようになった。ロイター通信によれば、野宿者のなかには、最低賃金以下の時給4,41ユーロで福島の原発の清掃に雇われる者もいるという。
宮下公園では、野宿者の状況は改善していない。渋谷区に9月に申し入れに行ったさいにも、区はきちんとした話し合いを行っていない。その上、ここ数年は支援運動も弱体化してきた。1990年代終わりには、貧困と格差に反対する運動は、日本のあらゆる左翼運動がとりくむ闘いだった、とダヴィド・アントワーヌ・マリナスは説明する。反貧困ネットワークは2008年に創設され、多くの運動が参加した。福島の災害がこの社会運動のダイナミズムを弱体化させた。イナバナナコは、今日では、貧困と闘う運動、野宿者の運動、つまり社会的権利をめぐる運動よりも、反原発運動に動員される運動のほうが多いと言う。 リュマニテ(2014年10月7日発行)
注1-スカッシュ場はないので、フットサル場の間違いだと思われる
注2-現在の名称は「みやしたこうえん」です。ナイキジャパン社は2008年の渋谷区に対する企画提案書で「「渋谷区」と「NIKE」のJOINT PROJECTであることを象徴するような名称を希望します。」として、宮下やNIKEや渋谷が入る名称を提案しました。一方で、2010年10月14日のプレスリリースで「「宮下公園」の名称はこれまで通り「渋谷区立宮下公園」となります」としました。しかし、2011年4月30日のリニューアルオープン時に「みやしたこうえん」という名称になりました。
0 件のコメント:
コメントを投稿