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2023年12月24日日曜日

渋谷区の野宿者襲撃許さない! 渋谷区役所前抗議行動と人権救済申し立て報告集会レポート

12月14日。美竹公園での苛烈な野宿者排除を逃れ、神宮通公園に移転した野宿者たちのテントや荷物、すべての所有物を、渋谷区が強奪してからちょうど1年が経ちました。

私たちはこの節目の日、昨年の渋谷区による襲撃とも呼ぶべき野宿者排除について、東京弁護士会に人権救済申し立てを行うことにし、それを知らせるための抗議行動と報告集会を開催しました。

■抗議行動

抵抗の基本は寝ること、食べること、生きること。ということで、抗議行動の前に、まずは公園でカレーを作りました。同時に、集まった皆でプラカード作りも。
時刻がちょうど16時を回るころ、「ちょうど今頃、この場所で…」と、渋谷区職員や警備員が大挙して公園に突入してきた、あの瞬間を思い出しました。今でもあの恐怖が蘇ってくるようです。
 



そして17時には区役所前に場所を移し、抗議情宣を開始。と、同時に、カレーの炊き出しを行いました。
「長谷部健渋谷区長の野宿者襲撃許さない!」という大きなバナーを広げ、何人もの仲間がマイクでアピールを行いました。

 
通り過ぎる人々にビラを渡そうとすると、警備員が妨害してきましたが、それにもめげずに情宣をやり遂げました。
「渋谷区は野宿者排除をやめろ!長谷部健区長は出てこい!」


■ 報告集会

夕方6時半からは渋谷勤労福祉会館で報告集会を開催。多くの人が抗議行動に引き続き参加してくれて、出席者は30人でした。

□ 映像でのふりかえり
まずは、美竹公園、神宮通公園での追い出しを、解説を差しはさみながら映像で振り返りました。

10月25日の美竹公園の映像は、早朝6時半、公園内で生活していた人が物音に気づき、説明なしにはじめられた封鎖のようすを撮影したもの(https://www.youtube.com/watch?v=iMapduIES8Q)。そこに寝起きしている人の問いかけを、渋谷区職員が一切無視して公園を封鎖、トイレを使えなくている様子が映し出されており、渋谷区の言う「丁寧なお声がけ」の実態がよく分かる内容です。

12月14日の神宮通公園の映像は、その日の朝から夕方まで、多くの人の撮影をつなぎ合わせたもの。朝10時半ごろに公園を訪れた渋谷区職員が、「公園利用禁止」をおくびにも出していなかったこと。夕方4時ごろ、公園課長が園内の野宿者、支援者をおびき出し、人垣を作ってテントに近づけなくして、寝床や荷物の強奪をはじめたこと。中にいた人たちは警備員に取り囲まれ、目の前で生活に欠かせない荷物が奪われていく中、自分の荷物を返せと叫んでも一切無視されたこと。公園入り口にも警備員が立ちふさがり、外から応援に来た人が立ち入るのを阻んだことが分かります。

いずれも、人を人と思わない渋谷区による追い出しの暴力が、まざまざと感じられる映像です。見るのが辛くなる内容ですが、改めて追い出しの不当性が確認できました。

□ 弁護士による人権救済申し立ての解説
 


続いて、代理人の山本志都、吉田哲也両弁護士から、人権救済申し立ての解説。

山本弁護士からは、人権救済申し立てという制度の概要、これまでの経緯と、これからの展望について解説。渋谷区による追い出しを繰り返させないために何が必要か、被害を受けた人たちの間で議論した上で、弁護士会に対して調査と対応を求める申し立てを選択したこと、これからも証拠調べなど手続きが続くこと、などについて説明がありました。また、公共の場所をどんどんと狭めていく、再開発の問題点についても指摘がありました。

吉田弁護士からは、追い出しの酷さについて改めて怒りの表明の上で、今回の追い出しの違憲性、違法性についての解説。福祉を受けることを強制し、そうでなければ放り出すような追い出しは、自己決定権を損なうものであること、結論があらかじめ決まっている「話し合い」は、社会権規約が求める「真の協議」とは言えないこと、などについて説明がありました。

□ 申立人の発言
 
続いて、申立人1団体、個人7名のうち6名からの発言がありました。それぞれの要旨は次のとおりです。

ねる会議「2010年の宮下公園追い出し裁判での一部勝訴、2012年の3ヶ所同時封鎖に対する第二東京弁護士会からの勧告を経ても、渋谷区による追い出しは続いてしまっています。一方、宮下公園追い出しの裁判で、かつぎあげるような形で追い出したことが違法とされてから、渋谷区はそのようなやり方はギリギリしないようになりました。美竹公園で公園に残った人は、その裁判を覚えていて、自分が外に出なければ引っ張り出されることはないんだ、と言っていたし、出なければ良いんだ、ということがみんなで再確認できました。だからこそ、神宮通公園ではあんなにひどいことがあったけれど、みんな公園から出ずに抗議できたし、今の現状にもつながっています。少しずつではあるけれど、積み重ねはあります。今回は、前回より一歩二歩進んだ内容にしたいと思っています」

Dさん「去年僕はこの現場にいました。長いことホームレス生活してて、初めてこういう恐ろしいことを経験しました。これがお役所のやることかと思って、驚きしななかったです。今は生活保護を受けて暮らしてますけど、あれは本当にひどいことだったなと思います。それもあるけど、こうやって知らない人とつながったりできたのも良かったかなと思います」

Eさん「12月14日は帰ってきたらあんなことになってて、中に入れない状態だったんですけど、中に自分の荷物があるといったら入れてくれたんだけど、なんと言ったか課長が腕をつかんできたので、警察に通報したんですけど、来てくれませんでした。トラウマにもなって、渋谷区に関わりたくないという人もいて、その気持も分かるんです。でも、何もしないと向こうの思い通りになって、それを避けるためにも申し立てというのは重要だと思います。来てくれた人、ありがとうございます」

Fさん「われわれの生活を守ろう!」続いて、詩の朗読。「夜明けの空に明星光る時、わが心に無念の青き炎燃え上がる。真のやすらぎつかむまで、闘いは続く」

Gさん「10月25日以降の美竹公園では、いつ動きがあってもいいように、張り番というのをやっていました。外から来ている私達でさえすごく不安だったので、公園で暮らしている人たちがどれだけの思いだったのかというのは想像してあまりあると思っています。12月の神宮通公園では、目の前で荷物がどんどんもって行かれる、やめろと言っても、向こうに行かせろと言っても物理的に阻まれる。本当に悔しい思いをしました。私は自分の荷物を持っていかれたわけではないんですけれども、目の前で不法不当な行為が行われているのを見せつけられた、そのことの精神的苦痛が大きくて、私も申立人になろうと決めました。起こったことをなかったことにはさせたくない」

Hさん「10月25日、野宿の方がひとり美竹公園で監禁されてる状況を目の当たりにして、目の前にいる人間を完全に無視して、こんなようなことが行われるということが、本当に恐怖に感じました。それから何度話し合いをしても何の解決もないので、なんとか頑張って、神宮通公園に移動できたんですね。移動した日は、少しだけみんな安堵はあったと思います。安堵があったと言っても、自分の生活の場の思い出や、それが奪われる喪失を噛みしめる間もなく、行政がすべてを奪って、公園を更地にしてしまったということが、驚愕でした。この間福祉が『自立しましょう』とか『社会復帰』とかいう言葉をよく使うけれど、野宿しているというだけで自立していないとか、社会にいないとみなされること自体が人権侵害だと思うし、役所のいう社会ってどこのことなのか、全然わからないです。私は家はありますけれど、12月14日に自分の荷物を奪われたので、家に帰れなくなりました。自立しろ、社会に復帰しろと言い続けている人たちが、自分たちが社会にいるとみなしていない野宿者にさせるという、支離滅裂な状態を、なんと説明していいかわからないですし、とにかく謝ってほしいです」

Iさん「渋谷区どうなってるんだと思っているのは、役所によるビデオ撮影が問題だという意識が全然ないんですよね。今回も、みんながひどい目にあってるところを役所の職員が平気な顔で撮影してました。開示請求してビデオが出てきたら、もっと詳しいことが分かるかも、と思ってます」

最後に、会場からの質疑応答があって、閉会となりました。

この日に提出した申立書については、後日ブログに掲載します。

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