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2020年5月4日月曜日

5月1日都庁交渉報告1 「産業労働局」 段ボール手帳休止について



4月8日から始まるはずだった東京都特別就労対策事業が休止してまもなく1か月。
「特別就労対策事業の休業補償を出せ!」「路上死出すな! 野宿者に食料・医療を」都庁前に足場を組んで力強いメッセージが掲げられた。ねる会議としては4月10日、15日と責任部署である産労局と交渉を行ってきましたが、今回は山谷とともに「2020 野宿者・失業者・日雇労働者メーデー」として大所帯での交渉となりました。
今回は人数も多く、密集してコロナ感染リスクを高めることがないよう、
・ある程度の距離を置いて座って交渉を行うこと
・距離をとってもお互いの声が聞き取りやすいようマイクを使用すること
・そしてそれらを公道でやると往来の邪魔になるため都庁の敷地内での交渉を追求すること
などが事前の打ち合わせで確認されました。

ところが私たちが交渉を始めようと都庁に向うと、ガードマンや総務局の職員が敷地内に入るな、マイクを使うな、などと妨害。暴言を吐いたり、カメラなどの私物を直接手で払いのけたり、大勢で密集して取り囲むなど、高圧的・暴力的な態度で私たちを出迎えました。
しかし、用があって来庁している者に対してこの対応は不当だし、感染予防などを考慮して話し合いの形を工夫している私たちに理があるのは間違いないので、皆して毅然とその場に座り込み、そのまま話し合いを始めました。

1. 5月7日以降も当面の間、休止

対応したのはこれまで同様、産業労働局雇用就業部就業推進課の(写真、右から)ニシカワ、シマネ、コンドウの3名。
4月8日から開始するはずだった特別就労対策事業(以下、特就)を5月6日まで休止し7日以降については追って知らせる、と告知されてきましたが、緊急事態宣言が5月7日以降も延長される見通しの中、どうするのか?
ニシカワ氏曰く
「本日午前中に新しいお知らせを玉姫職安、河原町職安、城北労働福祉センターに張り出した」
「現在も感染拡大が続いていることをふまえ当面の間、休止を継続する」
「収束の見通しがたっているとは言えないので、いつまでということは明確にできていない。」
予想されたこととは言え、生計手段がさらに長期に渡って断たれることが判明し暗澹たる気持ちになりました。
ニシカワ氏は、特就休止の判断をした理由について、紹介・移動・作業における密集状態、作業員の多くが高齢であったり野宿をしていたりして健康状態が良くないことから、ここで感染者が出ると山谷全体に広がってしまうからだと改めて説明しました。
しかし、そんなことは既に皆理解していること。特就だけで生計を立てている人は多く存在し、休止によって生存の危機に陥っている。現金給付を行え、または感染予防を考慮した形で仕事を出す方法を考えろ、と声があがりました。これらは基本的にこれまで2回の交渉で私たちがずっと言ってきたことでもあります。そしてそれに対する産労局の回答も、これまでの内容を踏襲するものがほとんどでした。

2. 同じ回答の繰り返し

例えば、前回「産労局は、セーフティネットの利用をしきりに勧めておきながら、実際にどのような制度がどのように運用されているのか、ほとんど理解していない様子。自分たちの無策を棚に上げて、ろくに把握してない他部局の施策を勧める無責任な姿勢を露呈しました」と報告したように、今回もまた同じやり取りが繰り返されました。
今回は山谷の人たちがいたため、産労局は”福祉的支援”の具体例として山谷の城北労働福祉センターによる宿泊券の配布を挙げ、通常、センター利用者カードがなければ利用できない宿泊援護を、利用者カードなしでもよいように柔軟に対応したのだと得意げに語りました。
しかし、この宿泊援護は約1週間の期間限定のもので、1か月以上にわたる特就の休止を補完するものにはなり得ません。
また、城北労働福祉センターでは利用を希望する人を「路上生活者は対象外」「居所が確認できない」などと不当に拒むことが常態化していて、福祉的支援としてはまったく機能していない、と山谷の人たちから厳しい指摘がなされました。
そもそも、同じく特就で生計をたてている渋谷や新宿の人たちにはまったく周知されておらず、利用もできず、それを福祉的支援とか言われても困ります。
また、センター以外にも、自治体の自立支援窓口や生活保護などの利用も検討してほしいと産労局。大部屋で感染リスクの高い施設、生活保護の問題点、私たちはこれまで散々伝えてきたはずですが、一体いままで何を聞いていたのでしょうか。

3. 過去、産労局も現金給付をやっていた

ただ、粘り強く交渉を続けるうちに、新しく語られたこともありました。
「現金給付をせよ」という私たちに対し、これまで産労局は、自分たちは労働部門なので就労の機会を提供するという形でしか支援できない、それ以外の形で予算を使うことはできないと再三繰り返してきました。
しかし今日の交渉で、ある参加者がモチ代の存在を指摘。
モチ代とは年末一時金と言い、山谷、釜が崎、寿などの寄せ場で、年末年始の仕事が途切れる時期に日雇い労働者に行われてきた現金給付のことです。
現在も行っているのは寿町のみですが、山谷も2007年まではモチ代の支給を行っていて、その予算は産業労働局でした。
仕事がなくなる時期に現金で労働者の支援をしていた実績・前例があるわけです。今こそそれが必要なときなのではないか?と皆の声にも勢いがつきました。
すると産労局も、実は3月の段階で、モチ代について過去の資料を参照していたと明かしました(早く言えよ)。
ニシカワ氏によると、最後の年である2007年時、
・白手帳を持っていて月6回以上仕事をしていた人に
・隅田川リバーサイドスポーツセンター、荒川区役所を使って
・27,000円配布していた
・支給者数2000人くらい
・労働者の支援という位置づけで行っていた
産労局は、とはいえ一度廃止された制度なので、当時の理屈がそのまま使えるとは限らない、と及び腰でしたが、
私たちは、前例があるならなおさら、いまこそやるべきだと強く訴え、改めて当時の状況を確認するよう産労局に申し入れました。

4. 仕事だしの工夫も?

もう一つ、産労局は感染予防を考慮した形で仕事を出すことについて、これまでは硬直した返答を続けていましたが、今日は、
「いまどういう形でできるか協議させてもらっているところだ。少人数でも実施できないか、可能性を考えている。」と一歩踏み込んだ姿勢を見せました。
人数が多いと感染リスクが高まる。しかし、あまりにも少なくすると仕事が回らなくなる。どう感染リスクを下げるのか頭を悩ませているところだ。と率直な意見を聞くことができました。
交渉は、こうして一歩前進したかと思えば、また元の言い分に戻ってしまったり、行ったり来たりの状況が続きましたが、皆で最後まで貫徹しました。

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