Translate

2008年7月22日火曜日

ナイキからの回答+申し入れ書

7月9日にナイキ本社に提出した申し入れ書に対してナイキから回答が届きました。まずは全文を公開します。 ----------------------------------------------------------------------
2008年7月16日
みんなの宮下公園をナイキ化計画から守る会 都庁行動を闘う全都野宿労働者実行委員会 渋谷・野宿者の生活と居住権をかちとる自由連合 代表者殿
株式会社ナイキジャパン
前略  2008年7月9日付で貴団体が持参された「申し入れ書」につき、弊社は、渋谷区に対し宮下公園に関するご提案をさせて頂いていることは事実でございますが、現在、渋谷区にご検討を頂いている状況で、現時点において確定事項としてお知らせ差し上げられる内容はございません。  今後お知らせすべき事項等が出て参りました場合には、その内容につき、しかるべき方法によりまして公表致します。  また、その他のお尋ねの事項につきましては、弊社と致しましてお答えを差し上げるべき立場にはございませんので、恐縮ながらご返答は控えさせて頂きます。  以上、ご返答を申し上げます。
不一 ご連絡先:株式会社ナイキジャパン PRチーム 竹澤 03-5463-3300(代表)
---------------------------------------------------------------------- 申し入れ書はこちらです。 ----------------------------------------------------------------------
申し入れ書
2008年7月9日
ナイキジャパン代表取締役 殿
みんなの宮下公園をナイキ化計画から守る会 都庁行動を闘う全都野宿労働者実行委員会 渋谷・野宿者の生活と居住権をかちとる自由連合                   (連絡先)東京都渋谷区東1-27-8-202                      電話・FAX 03-3406-5254 携帯電話 080-3127-0639
 東京都渋谷区にある宮下公園において、現在、全面改修計画が進められていると一部マスコミにより報じられた。渋谷区役所の土木部公園課課長によると、「改修計画は水面下の状態で具体的なことが決まっていないのでお知らせできない」という。宮下公園で野宿生活を余儀なくされている野宿者や、区民、公園の利用者に全く知らされていない状態で計画が進められていることは確実である。  この計画の概要は次のようなものである。貴社が総事業費4億5千万円を投じ、スケードボード場とカフェなどを新設する。利用者から使用料をとり、運営費に振り分ける。管理上、公園の周囲をフェンスで囲い、夜間施錠する。また、貴社が公園の命名権を5年間1億5千万円で渋谷区から購入し、ナイキ公園に名称を変えるとの情報も得ている。  私たちは以下の理由から、この計画に反対する。 1.宮下公園は20年以上にわたり、野宿者が生きるための寝場所として機能してきた。テントをはることでアルミ缶回収や日雇い労働など収入をえて、野宿者同士は助け合って命をつないできた。計画が実行されれば、野宿者は生活の場を奪われ、存在そのものが脅かされることになる。 2.この計画によれば、宮下公園はスポーツ愛好家だけの場所として変質することになる。本来、誰もが能動的に、自由に利用することのできる公共性の高い空間が、一企業が利益をえるための商業スペースに変わってしまう。この計画では利用料を払うことができない場合や、ちょっと一休みするためには、利用できない公園になってしまう。また宮下公園は、長年にわたり市民運動の集会所などとして利用されてきたが、その表現の場が奪われることになる。 3.この計画は、渋谷区長と一部の区議会議員がトップダウンで強引に進めているといわれている。区議会や都市審議会でも諮られず、命名権を購入する企業の募集もない。なぜ貴社との独占的な契約が結ばれるのか不明瞭である。また、今回のように公園の機能が変化する計画をすすめるにあたっては、計画者側が、区民や広く公園利用者と意見交換をし、民主的な手続きをふむ社会的責任があると考える。  私たちは以下の点について申し入れる。 1)計画の全容について明らかにせよ。 2)私たちがこの計画に反対する理由としてあげた上記3点について、貴社の見解を示されたい。 3)回答は文章形式とし、一週間以内に連絡先まで郵送すること。
以上
----------------------------------------------------------------------

1 件のコメント:

晶良 さんのコメント...

1年近く経過してますが、その後どうなりましたか?