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2005年4月10日日曜日

第5回宮下公園行政代執行国家賠償請求裁判


平成23年(ワ)第13165号損害賠償請求事件

原告 ●●外3名
被告 渋谷区

準備書面(2)

2012年3月9
                                                                     
東京地方裁判所民事第39部合議B係御中

原告ら訴訟代理人
弁護士  小島延夫
弁護士  山本志都
弁護士  戸舘圭之

原告らは、本書面で、被告に対して、原告らが事実主張を行う上で必要な求釈明を行うとともに、今後の原告らの主張の骨子について述べる。

第1 原告準備書面(1)で主張した事実関係について

被告は、平成24年1月13日付「準備書面(2)」では、原告らが準備書面(1)で主張した事実について認否することを一切せず、求釈明した部分についてのみ個別に回答してきた。

原告らは、準備書面(1)において、宮下公園がナイキ化されるに至る経緯についての事実関係について詳細な事実を指摘した上での主張を行っている。被告は、原告らの主張する事実経緯について、現時点において、何ら認否をしていないが、原告らの主張する事実関係を認める趣旨なのか明らかにされたい。

被告は、まさに当事者として、宮下公園ナイキ化に関する交渉、契約締結等にあたっており、本件行政代執行の主体も被告である。つまり、本件においては、ナイキ化や原告らの宮下公園からの排除に関する事実関係を立証する証拠資料は、すべて被告の下に存する。しかし、被告は、市民による公文書開示請求に対しても、不誠実な対応を繰り返しており、原告らは証拠資料へのアクセスを疎外されている状況がある。

これらの事情に照らせば、まずは、被告において、原告らが指摘する事実経過について認否を行った上で、被告が保有する資料等を適宜示すべきである。

第2 求釈明

原告らは、被告に対し、以下の点について釈明を求める。

1 2007年9月12日の「提案」(被告準備書面(2)1(1)2頁)

被告は、「平成19年9月12日、被告区長はナイキジャパンから、宮下公園の整備に関する提案について、話を聞いた。」とあるが、2007年(平成19年)9月12日が最初の接触であったのか、それ以前にナイキジャパンと被告との間で接触、交渉等のやりとりは一切無かったのか、明らかにされたい。

また、ナイキジャパンから宮下公園の整備に関する提案が行われた際の資料を提出されたい。

2 2008年2月上旬の「相談」(被告準備書面(2)2頁)

被告は、「平成20年2月上旬、被告はナイキジャパンを含む3社に対し、宮下公園の整備について具体的な提案ができるかどうか、相談をした。」とあるが、「平成20年(2008年)2月上旬」のいつ、いかなる「相談」がなされたのか、「ナイキジャパンを含む3社」とは具体的にどこの会社か、「相談」があった具体的な日時、対応した者の氏名、役職、「相談」内容及び「提案内容」等の詳細について、「相談」が行われた根拠となる資料とともに明らかにされたい。

3 ナイキジャパンの事業者としての選定

被告は、準備書面(1)では「平成20年3月7日、被告区長は宮下公園施設のネーミングライツ事業者としてナイキジャパンを選定した」と主張したが、準備書面(2)では「平成20年3月24日、被告区長は宮下公園施設のネーミングライツ事業者の候補者としてナイキジャパンを選定した」と訂正する、とした。このようなきわめて重要な点について、主張を変更した理由はどこにあるのか。

2008年3月7日に行われたネーミングライツ選定委員会では何が決定されたのか。被告が、ナイキジャパンを事業者として選定したのはいつか。ナイキジャパンを事業者として選定するにあたって、被告内で、いつ、どのような手続が履践されたのか明らかにされたい。

4 公園施設の設置

都市公園法上、公園管理者以外の者が都市公園に公園施設を設置、管理しようとするときは条例で定める事項を記載した申請を公園管理者に提出してその許可を受けることが義務付けられている(都市公園法5条)。宮下公園内への公園施設の設置、工事期間の変更の際、それぞれ、ナイキジャパンから提出された申請書と渋谷区の許可書を提出されたい。

5 説明会の目的

被告は、2009年7月1日あるいは同月31日に「説明会」を開催しているが、この説明会の目的はなにか。

6 宮下公園の封鎖・利用禁止

被告は、「被告が平成22年9月15日に宮下公園の利用禁止を行ったのは、仮囲いのフェンスの設置及び樹木剪定のためであり、また、これを継続したのは、樹木剪定及び公園内の清掃のためである。」と述べているが(準備書面(2)3頁)、樹木剪定及び公園内の清掃について、それぞれ開始時期と終了時期及びその実施地域を示されたい。また、2008年9月15日に、仮囲い(フェンス)を設置した場所及び立入りを禁止するために警備員等を配置した場所を明らかにされたい。

さらに、被告は準備書面(1)で、翌16日に「利用禁止区域を広げた」としている(7頁)が、利用禁止区域を広げた理由はどこにあるのか。また同日に新たに、仮囲い(フェンス)を設置した場所及び立入りを禁止するために警備員等を配置した場所を明らかにされたい

7 2010年8月31日の「掲示」

被告は、「平成22年8月31日、渋谷区公告第149号(乙第9号証)を渋谷区役所庁舎前の掲示場(所在:東京都渋谷区宇田川町1番1号)に掲示することにより、弁明の機会を行ったものである。」と主張する(準備書面(2)3頁)が、区役所庁舎前のどこの掲示場にどのような形で掲示したのか、掲示場の具体的な場所、掲示の形態等の詳細について、証拠とともに明らかにされたい。

また、被告が、掲示場への掲示を決定した経過、決定した際の決裁文書等を示されたい。さらに、被告が、上記文書を掲示場へ掲示した理由、行政手続法上の要件該当を根拠づける事実を明らかにされたい。

第3 今後の主張予定

被告は、準備書面(2)において、原告の求釈明にしか答えず、その他の原告主張に対しては、認否すらしていない。

被告は、まず原告2011年11月16日付準備書面(1)の主張に対して認否、反論をされたい。

原告は、原告の2011年11月16日付準備書面(1)に対する被告の認否、反論をまって、原告の主張を補充する予定である。以下、原告の主張の骨子を述べる。

1 本件訴訟の意義

本件訴訟は、渋谷区による不当な行政代執行の強行が契機になっているが、行政代執行のみならず、行政代執行の原因である、被告とナイキジャパン社による「宮下公園ナイキ化」そのものを問うている。

宮下公園ナイキ化は、不特定多数の市民のためである公園が、一企業の利益のためにその内容を改変し、利用が制限される計画であった。計画決定、選定過程の不透明さは、そのことの正当性のなさを自ら明かすものとなっている。この点は、当然に履践すべき手続を履践していないという手続の違法の問題として、被告の国賠法上の違法性を基礎づける。つまり、被告が、市民・利用者あるいは議会による真正な討議によらず、秘密裏に一企業の利益を優先する被告の公園や公共性にたいする姿勢が、全ての出発点である。

さらに、本件においては、公園が封鎖され、その利用が制約され、ナイキ化が実行される中で、本来宮下公園が有していた性格が全く変えられてしまい、いわば別の公園となったという問題がある。

そもそも、公園とは、用途が多様に開かれ単一に定められていないがゆえに、市民に対する大いなる自由と公共性を持つ空間である。都市においてそのような空間は他にはなく、都市再開発などによってますます商業空間に占められ、しかも貧困層が拡大している現在においてその価値はさらに大きくなっている。特に、繁華街の近く(渋谷駅から徒歩2分)にあり一定の広さの面積を持つ都市公園である宮下公園は、周囲の住民のみならず、従来より不特定多数の市民が利用してきた。

原告らは、被告により、公園の封鎖・行政代執行が強行される前から、表現の場として、あるいは、生存権保障の舞台としての公園の公共的な意義を問い直し、市民に対する公園の価値を狭める行政の在り方を見直すことを求めてきた。「みんなの宮下公園をナイキ化計画から守る会」(以下、「原告守る会」という)は2008年6月から、渋谷区民を含めた様々な公園利用者が集まり、宮下公園のナイキ化計画に反対する活動を行ってきた。本件訴訟においても、まさに、被告の行政としての在り方が問われている。

2 表現の場としての公園

被告は、宮下公園のナイキ化計画の詳細を明らかにしないまま、2009年9月から宮下公園の工事を始めようとし、公園の使用許可を認めなくなった。その後も、被告は、公園のベンチを撤去し、立ち退かせた野宿生活者の小屋を取り壊しそれらをフェンスで囲っていき、2010年3月16日には宮下公園の北側 を封鎖しようともくろんだ。

公園は、「パブリックフォーラム」として、多種多様な意見や思想の表明が行われる場であり、表現の自由が尊重されるべき空間である。事実、多年にわたって、宮下公園は、集会場所やデモの出発地・解散地点として利用されてきた。

しかし、ナイキジャパンは、渋谷区に「他社の実践するイベントに対する内容の事前確認と承認・否認の権利」を要求するなど、当初から、公園の公共性ないし公園における市民の表現の自由を著しく軽視する姿勢を示していた。被告も、ナイキジャパンのその姿勢を根本のところで問題視することはなかった。

この工事が行われることに反対していた公園利用者たちが、2010年3月15日、「公園をつくる」というテーマで集まり、原告「宮下公園アーティスト・イン・レジデンス」(以下、「原告A.I.R」という)を結成した。同団体は、宮下公園で従来から行われてきた制作・表現活動をさらに発展させることを目的とし、宮下公園内に滞在して、制作・表現活動を行った。「アーティスト・イン・レジデンス」とは、芸術や様々な表現活動を行う者が、ある一定の期間その場所に滞在しながら作品制作を行うことをさし、最近では、地方公共団体が主催して、アーティストを招聘することも多い。宮下公園では、原告A.I.Rが中心となって、滞在制作、展示、ライブ、上映会、ワークショップなどを開催し、原告守る会と連携する形で、公園を訪れる多くの人たちにナイキ化計画や、公共公園についての問いかけを行なってきた。

原告A.I.Rをはじめとして原告らは、市民に開かれた「みんなの公園」をめざした活動を行ってきた。「みんな」の中には、声が聞き入られにくく、社会的に排除されている人たちが含まれるのであって、そのような人たちの声が存在しないという扱いにしないためには、無料であり、ある用途に確定されず、表現の自由が守られている空間が必要である。野宿生活者が「安全」を名目に排除の対象とされていること、また、女性や子どもが、公共の場で、「配慮」や「保護」の対象になり、自らの意に反した管理をされることがあることなどから、原告らは、「みんなの公園」をめざすために、解決策として誰かを排除するのではなく、公共の場に多種多様な人たちが集まった時に立ち現れる困難や問題を受けとめる取り組みを行っていこうとしていくことが必要と考え、それに従って行動してきたが、被告は、原告らへの説明や協議の機会を持とうとはしなかった。

被告は、2010年9月15日に突然 、公園を封鎖し、同月24日に、行政代執行を行った。そのことで、原告らが積み上げてきた「公園をつくる」という取り組みや対話の契機は根本から失われた。それは、様々な用途で利用でき、表現の自由が保証され、さまざまな立場の人たちが出会い、時には共に憩い、時には声を出し合って対立できるような、社会的な場としての公園を、原告らをはじめとする市民から奪ったことである。

また、被告は、2011年4月30日のリニューアルオープン時、プラカードを持った人に対して、強制力をもって入場を制限し、荷物検査を強行するなど表現活動に対しても大きな制限を加えた。同日、公園内に反原発の小さなステッカーを貼るというささやかな表現行為を行った人を逮捕するという事件も起き、宮下公園における表現の自由が、不当に制約されていることが明らかになった。

一方で、ナイキジャパンは宮下公園を商業的に利用しようとし、被告はそれを積極的に推進している。たとえば、ナイキジャパンは、宮下公園に近接した場所に2011年8月20日から9日間臨時のサッカー用品店を開くのにあわせて、オープン前日に、被告と共催して、「NIKE MIYASHITA CUP」というフットサル場を用いるイベントを開催し、宮下公園を通常の閉園時間を数時間超えて使用した。

公園は、誰にとっても開かれた場所であるべきで、貧困者やマイノリティという表現の場を獲得することが困難な者にとって、重要な表現の場所として、本来確保されるべき場所である。そのような表現を含む多種多様な表現の自由が損なわれないためには、公園での表現内容だけではなく、公園そのものをつくるにあたっても、多くの小さな声が消されることがないような充分な討議が尊重されるべきである。

原告らは、公共団体として権力を有する被告や資金力を有するナイキジャパンが結託して進行した、一方的な公園の改変を止めるともに、そのような小さな声がつくる場を構想し、活動を続けてきたものであって、被告の行為によって、その表現の場が失われたことは、表現の自由に対する重大な侵害である。

3 生存権保障の舞台としての公園

被告の宮下公園全面閉鎖及び行政代執行の強行により、テントで生活していた野宿者は強制排除され、その荷物は撤去され、また、同公園内のベンチや地面にダンボールを敷いて寝ている野宿者は寝場所を奪われた。本訴訟においてテント生活者1名が原告となっているが、テントといった定住の住居を持たない多くの野宿者もまた渋谷区による被害者である。

原告渋谷・野宿者の生存と生活をかちとる自由連合(以下、「原告のじれん」という)は、寝場所が定まっておらず、荷物や毛布の置き場所がない野宿者のために、安心して利用できる荷物や毛布の置き場として、宮下公園内に、10年以上前、倉庫を設置した。そのことは渋谷区公園課も当然に承知しており、度重なる交渉で確認され、その使用は黙認されてきた。にもかかわらず、被告は、原告のじれんの倉庫を強制撤去し、野宿者の荷物や毛布、活動に使用する物資を奪った。

そもそも、野宿者は社会的、経済的要因によって生み出され、就労・福祉対策を十分に果たさなかった結果、その数は増大した。代々木公園や宮下公園という都心で有数の広い公園が区内に存在する被告は、独自の公的就労対策を全く実行しようとはせず、福祉事務所にしても生活保護を申請に来た野宿者を窓口で追い返すいわゆる「水際作戦」を繰り返してきた。

失業し、住居や貯蓄など喪失した人々は、野宿を余儀なくされても生存を保ち続けていかなければならない。公共地である公園は、災害時の緊急避難所としての機能を有しており、野宿を余儀なくされた生活困窮者の避難所であった。公園には、歴史的にみても、生存権の保障の場としての意味があり、公園内での居住を一方的に奪うことは、その生活者の生存権の侵害として違法であることは明らかである。

また、原告のじれんは、その前身の「いのけん」(渋谷・原宿生命と権利をかちとる会)時代の1997年頃から2010年9月に至るまで、共同炊事(炊き出し)、夏まつり、越年・越冬闘争(厳寒期集中支援活動)など活動の拠点として宮下公園を活用してきた。それら諸活動は、宮下公園及びその周辺に起居する野宿者の生存を維持するために必要な活動として行われており、そのような活動の場を奪うことは、原告のじれんの活動を制約するとともに、野宿者の生存権を侵害するものとなる。

以上                                                                          

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