2020年4月13日月曜日

東京都産業労働局と特別就労対策事業停止の補償について交渉を開始しました(ねる会議)

1970年代、日雇い労働の需要の落ち込みに対する労働者の要求から始まった山谷地区での特別就労対策事業(通称、段ボール手帳、以下、特就事業)。
都立公園の清掃や湾岸部の都有地の草刈りなど都の発注する公共事業に、山谷にあるハローワーク(玉姫職安など)に登録している労働者を日雇いすることで生活の安定を図るものとされています。
年間51000人分の求人で、月に1人平均3回(一回約8000円)仕事を得ることが可能です。
近年では、渋谷や新宿から登録する人も多く、野宿者の生活を支える重要な事業となってきました。

しかし、新年度4月8日から開始されるはずの特就事業は、その前日に5月6日までの全面停止(6日以降は未定)が発表され、登録している人たちに衝撃が走りました。
ねる会議のメンバーにも、特就事業で生計を立てている者や予定していた者がいます。
生活を脅かす喫緊の大問題に、4月10日、総勢約15名で、事業を主監している産業労働局(雇用就業部就業推進課)にむかいました。

都庁受付の最新機器で名前と行先を入力し、ガードマンによる検温(おでこにピッとやるやつ)を受け、入場用のセキュリティーカードを1人ずつ受け取り21階へ。
産業労働局の窓口で用件を告げると、就業推進課(課長代理)シマネ氏と同課主事だという男性(名乗らず)が対応に現れました。
動線を確保するためということで、狭い廊下に密集する形でのやり取りを余儀なくされ、シマネ氏は私たちに指摘されるまでマスク未着用でした。

シマネ氏は、厳しい状況であるという認識はある、しかしこの場で回答することはできない、何か検討しているかどうかについても答えられない、と最初に言ったきりで、その後のやり取りは、ほとんど主事男性が以下のように発言。
<コロナの感染爆発という状況を踏まえ、どうしたら3密を回避できるか、産業労働局、建設局、港湾局で検討し、日雇い労働者の安全のため仕事紹介を休止した。都としては、特別就労対策事業はそれだけで生活を成り立たせるものとは認識していない。生活保護や自治体の用意しているセーフティネットを活用してほしいと以前から言っている>

一方、私たちからは、そちらの認識とは違い、実際にはこの場にいる者も含め多くの人が野宿しながら、特別就労対策事業を貴重な収入源として食いつないでいるのが現状だということを伝えました。3月で年度末に紹介が止まって、4月の再開を皆あてにしていた。コロナで炊き出しもなくなっている。生活保護も利用しない・できない理由がある。だいたい、無料低額宿泊所などの大部屋は3密状態じゃないか、とも。

男性主事は、非常事態宣言が解除されて仕事が出せる状況になったら、そのとき休止した分を振り分ける可能性もあるが、決まっていないことについて今の時点では言えない、と発言。私たちからは、日雇い労働者は1日1日を食いつないでいる。1か月も止まるということの重要性を考えろ。このままではコロナで死ぬか、飢えて死ぬか選べと言われているようなものだ。と、皆で口々に訴え、いますぐ休業補償をするか、何らかの仕事だしの対策を講じるよう求めました。
産労局によれば、予算(業者への支払い)はまだ執行していないということでした。予算があるなら、すぐにでも応急対策ができるはずです。

私たちは、これの要望に対する回答を聞くため次回のアポイントを取り、すみやかに帰る予定でした。産労局側が要望書を出してほしいというので了解し、緊急の対応を求めているにも関わらず、次回話し合いはこの場で決められないと事態が一向に進みません。


そうこうしているうちに、別部署の職員なのか何者ともわからない人々やガードマンがわらわらと集結しフロアはまさに3密状態に。これは危険と判断し、全員で外に出て話を続行することにしました。
移動の最中、後から現れた話し合いとは関係のない総務局の職員が「責任ならとってやるよ。俺はいつ辞めても構わないんだ」と笑いながら軽口を叩いたことに1人が抗議。すると逆に激昂し暴言を繰り返すという一幕もありました。

場所は都庁前の路上へ。ここでも相変わらず堂々巡りのやり取りをしばらく続けていましたが、最終的に産労局側から日程の提案があり、最終的に話し合いは15日13:30からになりました。
産労局側は代表者をしぼれと条件を付けてきましたが、私たちはこれには応じませんでした。

命綱である特就事業の仕事が止まるという緊急事態に、担当部署の役人を捕まえて皆がそれぞれの言葉で切実な事態を訴えました。
東京都は、今回の私たちの発言を多くの特就事業労働者の声として真摯に受け止め、誠実に対応してください!

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