「誰もがいられる公共の場所を作るためにこの報告会を開いた」
と司会から趣旨が話され、昨秋以降の渋谷区による美竹公園、神宮通公園の野宿者排除についての報告会が開始された。
最初の報告者からは、これまでの美竹公園、神宮通公園の経緯が話された。
最初の報告者からは、これまでの美竹公園、神宮通公園の経緯が話された。
「美竹公園では98年からのじれんが共同炊事を始めた。その頃は東京都児童館が隣接していて、閉館後に飯づくりや寄り合い、集団野営が行われていた。」
まだ広く樹木もたくさんあった頃の美竹公園の写真がスクリーンに映し出されるとどこからともなく、おぉー、と声が漏れる。
「2012年に、美竹公園・渋谷区地下駐車場・公衆トイレの三か所を一斉封鎖して野宿者排除をするという出来事があった。その後、美竹公園では行政代執行の手続きが取られたので、昨秋の一件は二度目の行政代執行ということになる。一度目の行政代執行のあと、交番が作られた。2013年に東京五輪招致が決まると、その年末、宮下公園で行われていた越年越冬闘争を機動隊が大挙して強制排除するという出来事があった。排除されたあと、神宮通公園(南側)で越年を続けた。10年前の神宮通公園はフェンスも低く、今よりも少し広かった。2014年以降、292日間粘って夜間施錠を阻止する行動もやった。」
この10年間、追い出しが繰り返されてきたが、美竹公園も神宮通公園も皆で守ってきた場所だということが改めて確認された。
二番目の報告者は、渋谷区の街づくりの問題点について報告した。
「渋谷区は公共の場で野宿者が寝泊りしたり荷物を置いたりすることについて、絶対にダメだと一貫して言ってきた。その姿勢が2つの現れ方をしている。1つは福祉的アプローチ、つまりハウジングファーストをはじめとした福祉を手厚くやっていると強弁するもの。もう1つは福祉に乗らない人への徹底的な排除。この2つはコインの裏表として行われてきた。渋谷区はプレスリリースで『(10月)25日には、路上生活者の社会復帰を目的とするのではなく、公共スペースに起居させることを目的として活動している団体が、警備の制止を振り切り、閉鎖した公園内に侵入しました。』と書いている。起居『させている』という言い方は、野宿者の主体性をまるで無視した言い方で、支援者や活動家がそそのかしていると言わんばかりだ。野宿者が自分たちの力で生活を営み、関係性を築き、場を作っていっていることを無視していて、何重にも誤っている。そういう野宿者の主体性を軽視したあり方が排除に結びついているのだろう。そういった渋谷区の姿勢に感化されるような形で様々な襲撃が起こっている。今年の4月にも神宮通公園南側で襲撃があり、加害者は『生保を取れ』と言いながら石を投げてきた。渋谷区がやっていることとほぼ同じこと。行政のあり方に影響されている。それに対して私達が言ってきたのは『わたしたち野宿者はこの街で生きている』ということだ。私たちの要求は、代替地を出せ、つまり同じような公共の空間において生活を継続させろ、ということで、この部分が渋谷区と一番ぶつかっていた部分だ。」
三番目の報告者からは、渋谷区の再開発と野宿者排除に対して私たちが何をしてきたのか、再開発の本格化から強制封鎖前夜まで、スライドで年表を示しながら報告された。2021年3月に美竹公園再開発の事業実施方針が公表されるも、当時はコロナ禍で皆で集まって行動することが難しい時期で試行錯誤したという。事業実施の審査員にハガキを送るハガキ作戦では皆がそれぞれ思い思いの言葉を書いたこと、強制封鎖の2週間前には美竹公園で渋谷秋まつりが行われたことなどが話された。
渋谷区との交渉は主に総務課、公園課、まちづくり3課を相手に行っており、2020年までは課長級が出てきたが、2021年度以降役職者を出してこなくなり、公開情報以外喋らない、しらを切るという態度だった。相手がハナから追い出すつもりでいる時に交渉を成立させるのは難しかったが、情報を引き出したり、皆で行動するきっかけになったりという意義はあったと振り返った。
最後の報告者は、10月25日の美竹公園強制封鎖以降の出来事について写真を見せながら報告した。
「10月25日の強制封鎖に先駆けて、渋谷区は10月11日から神宮通公園の夜間閉鎖、プランターの設置など、追い出された野宿者の逃げ場を塞ぐということをやっていた。10月18日にはねる会議が、19日には美竹公園の野宿者が、公園を突然閉めるようなことはしないでほしいと伝えていた。にもかかわらず、10月25日の朝、渋谷区職員や警備員が突然大量にやってきて公園を封鎖した。さらに外から中が見えないように目隠しをし、野宿者を大勢で取り囲んで福祉を受けろと迫った。半ば脅しだ。トイレも封鎖し、水道も止めるという人権侵害の中、とにかく中に残った人が心配だったので、タイミングを見計らって中に入った。夜遅くようやく課長が現れ、公園を閉めさせずに翌日を迎えた。翌日、何を尋ねても渋谷区は一切答えない。『これまで丁寧にお声をかけてきた』としか言わない。公園は利用禁止にされ、納得がいかず、監視行動を毎日やった。」
その後、行政代執行の手続きが開始され、再び強行な手段が取られないよう話し合いやデモなどに取り組んだことを振り返った。12月13日、ついに話し合いにこぎつけるも、代替地を要求する私たちに対し、渋谷区はそんな場所は出せない、福祉を受けろの一点張り。そこでその夜、美竹公園から神宮通公園に自分たちで移動した。
「すると翌12月14日、渋谷区は美竹公園を再封鎖した。夕方、美竹公園の封鎖のために4000万円以上の予算をつけて雇っていた警備員と渋谷区職員が神宮通公園に100人くらいで来襲し、財布も衣類も薬も、身ぐるみ剥がして行った。とても寒かった。仲間が毛布を持ってきてくれたり、段ボールを集めたりして、なんとか寝た。」
「その日からこの公園の前に警備員がずらっと並ぶようになった。この日から神宮通公園も利用禁止にされた。渋谷区はその理由を、近隣住民が放火や騒音などの不安がある中、さらに荷物が置かれたためだと説明した。次の日、渋谷区の倉庫に荷物を取り返しに行った。美竹公園でも行政代執行が行われた。そこでも大量の警備員が用意された。その警備員たちが再び神宮通公園に来るのではないかと心配で応援を呼びかけた。越年越冬闘争も神宮通公園南側で実施した。」
「私たちは公園の利用禁止をどう解除させるかということを考えていた。実際には神宮通公園は一般の人たちも利用しているのに利用禁止にしている。矛盾を作っているのは渋谷区だった。渋谷区の区民の皆さんが要望書を出してくれた。住民の迷惑という言い分を覆すような行動だった。そして2月1日、利用禁止が解除された。たくさんの人の協力の中で公共の公園が守られた。公園には、保育園の人たち、掃除の人たち、野宿者も含め色んな人がいる。野宿者がいることで不適切な公園というのはやめてほしい。」
続いて、美竹公園・神宮通公園からの野宿者排除に抗する取り組みに様々な形で支援を寄せてくれた方々から発言があった。
まずは渋谷区に対して公園の利用禁止を解除するよう要望書を出してくれた区民の方から。
「渋谷区が神宮通公園まで封鎖しようとしたことで、いい加減にしてほしいと思った。これまでもヘイトスピーチに対する条例を作ってほしいと申し入れたりした経験があり、短期間で要望書を作って10人くらいで渋谷区役所に行った。公園課、まちづくり課、広報課を回って責任者の対応を求めたが、どの課も最初は逃げていた。最終的には出てきてくれたが感触は悪かった。その際、公園の利用禁止を続けるのかどうか答えを聞きたいと言ったのに未だ回答はない。そうこうしているうちに利用禁止が解除された。野宿者排除をする区民もいる中で、そうじゃない区民もいるということを示すことは必要。区政は全然いいと思わない。区長を下ろすということをやっていきたい。」
「少しでも役に立てたなら良かった。渋谷区では再開発がとにかく行われている。企業や行政に働きかけること、もっとやっていきたい。」「この間の選挙のとき、買いものをしていたら前からたまたま長谷部区長が歩いてきた。選挙のときだけニコニコして、私たちが話を聞いて欲しいときには相手にしないじゃないか、と言えた。野宿者排除のことも言った。目つきが変わった。長谷部は是非話し合おうと言ったが、本当に話し合うつもりがあるのだろうか。」
続いて12月14日の神宮通公園の襲撃以降、連日駆け付けてくれた方から。
「自分は入管問題に取り組んでいる。入管のことと野宿者のことは通じていると思う。街の中にいるのにいないものとするという点や、どんなことをしても強行するという点が。やはり我々が声を出さなければならない。人は何が起こるかわからないということを身をもって経験している。そのときに色んな人がいるということがわかるだけでも助かった。色んな人がいていい社会を作りたい。この場所があるということは僕にとって大きなことだ。」
江東区の竪川河川敷公園から応援に駆けつけてくれた野宿者も発言した。
「渋谷区の強制排除は悲しかった。自分も竪川で行政代執行を2回受けて、去年の2月で10年経った。どこへ行っても野宿者同士のつながりは大事だ。行政は嘘の塊、国もそう。一人一人を大事にしない。信用するのは周りにいる仲間だ。動ける間は助け合いたい。各地で野宿者排除が起こるのは悲しいこと。手に負えないから強制的にやるというのには反対だ。何かあったら皆で集れば最高の力じゃないか。」
最後に、神宮通公園に暮らす当事者がマイクを握った。
「神宮通公園が襲われたとき、人が中にいる場合には入口は封鎖できない、だから公園の中にとどまらなきゃいけないと思って頑張った。警備員が威圧する中で長時間緊張状態だったが、いろいろな支援をいただいて本当に助かった。」
「皆、元気です。なるべく野宿者同士で力を強めていこうと『ホームレス情報センター』という取り組みも始めています」
と近況が報告された。そして
「これからもこの街で一緒に生きていけるように」
と報告会は幕を閉じた。
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