一年前の今日、2010年9月15日の早朝。渋谷区は、宮下公園の中で生活していた人を暴力的に公園の外に追い出す突然の強制排除を行い、宮下公園を全面封鎖しました。そして9月24日には「行政代執行」を行い、宮下公園のナイキ化工事を強行しました。
現在、わたしたちはその正当性を問うために渋谷区を相手どり国家賠償請求訴訟を行なっています。
現在のナイキ化された「みやしたこうえん」は、有料のスポーツ施設が公園のかなりの面積を占め、そのためお金に余裕のある特定のスポーツ愛好者以外が楽しめる空間は非常に限定的なものとなってしました。
また、かつては24時間誰もがアクセスできた公園は夜間施錠されることとなり、更に「節電」を口実に閉園は18時30分となっています。
公共の場所であるはずの公園で、8月にはナイキと 渋谷区共催のイベントが行われ、公園を利用したナイキの営業活動が夜間まで行なわれました。公共の財産を自社のキャンペーンに利用しようとする私企業と「公共」に考えが及ばない行政が、みんなの大切な場所を、そこで過ごせるはずの自由な時間を、都合よく私物化しています。
私たちは、かつての宮下公園でたくさんの人たちが集っていた様子を忘れていません。私たちが知っている人も知らない人も多様な人たちが公園を多様な目的で使っていました。
みんなの公園を「みやしたこうえん」に改造した彼らの破綻は自ずから訪れるかもしれません。それでも、私たちは変わらずこの現状を突き崩す運動を続けてきました。
宮下公園の「ナイキパーク」化は再開発の端緒であると桑原渋谷区長が言った通り、東急による巨大ビル「ヒカリエ」オープンや渋谷センター街が「バスケットボールストリート」に変わるなど街 の開発は加速しています。またアルゼンチンでも現在、歴史あるカフェが閉鎖されナイキショップに変わるという状況で反対の声があがっています。
まだ何も終わっていません。
2010年9月15日から一年。
私たちが闘い続けていくことを、今いちど、多くの人たちと確認していきたいと思います。
NO NIKE PARK!!
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返信削除今日、渋谷センター街の名前がバスケ通りに変わってしまうことも、ナイキの影響があってのことに違いありません。
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